柏崎・刈羽原子力発電所

原発分社化の提言

田中直紀参議院議員の挨拶      

2009.1.15

柏崎市の新年賀詞交換会が5日市民プラザで行われた。その時の田中参議院議員の挨拶を越後タイムスが記事にしている。以下タイムスの記事を引用すると「田中参議院議員も原発の問題に触れ、東京電力に対し『分社化など、地域との関わりをもっと大胆に打ち出して、電力会社として生まれかわってもらいたい』と要望した。

越後タイムス以外の記事を一応は探したが見つからなかった。それだけにこの短い記事では前後の文脈も分からず正確な意図は掴めない恨みはあるが、含むところは大きいのではないだろうか。

原子力発電所が地域の政治はともかく文化・経済の貢献度については議論の別れるところである。柏崎刈羽は原発との共生のあり方が的確であれば繁栄し、誤れば衰弱するのは地域住民の共通認識である。振り返れば原発賛成・反対を含めて利害関係者の発言が大きくて真相を覆っているのではないかとの懸念が常にある。

田中直紀参議院議員の発言は世界一の発電力を持つ柏崎刈羽の地域の衰弱を看過できないと、また原発の持つマイナーなイメージを払拭する大胆な構想を披瀝したのではないだろうか。

 降って沸いたような東芝の電池工場の進出と田中直紀参議院議員の挨拶は、政治中枢部の原発政策を示唆するものではないだろうか。柏崎の政界が東芝の進出について事前に察知していた様子は今のところうかがえない。柏崎の政治の中央とのパイプが太いか細いか注目したい。

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小さな池の大きな鯨

教員採用に思う透明度の重要性 

2008.7.29.

贈収賄は商売がらみの世界で起こる事と思っていた常識がひっくり返った驚きが大分県教員採用昇進の騒動である。教育現場で子供たちとの崩れた信頼関係をどうするかだけではない心の痛む問題である。社会は日々刻々と変わるだけに軋みも生まれ、時には贈収賄など汚職のタネは尽きることがない。

教育は根底に信頼と善意を置くだけに先生の採用時点で贈収賄があったとは誰もがビックリした。定員枠があるから点数を水増しされて合格した人数だけ本来合格すべき人が不合格になっている。

これは教育という特殊現場だから許されない問題ではない。汗と苦労の結果が評価されないで、情実や賄賂がまかり通る社会は希望のある社会ではなく、腐敗と汚臭の臭う社会である。途上国と先進国の違いはこの差であり人間の歴史は公正で透明度の高い社会に前進する戦いでもあった。今は過去の歴史だが共産主義と資本主義の世界覇権をめぐる争いに共産主義が敗れ市場経済一色に染め上げたのも自由で透明度の高い社会が支持されたからだろう。

先日、柏崎の有識者と評されているS氏が「東京電力に入社している人に地元の有力者や東電とつながりの太い人の子弟が多い。東京電力は地元振興を考えるなら地元採用枠を設け公表して、広く受験入社のチャンスを与えるべきだろう」と話していた。柏崎刈羽原子力発電所は生活用品から生産資材の調達、広大な敷地管理など膨大な需要をかかえている「柏崎刈羽の小さな池の中の鯨」である。

柏崎刈羽原子力発電所は日本のエネルギーを左右し地球温暖化の日本の責務の達成度に影響し、今日の新聞は東京電力の経常赤字4250億円(中越沖地震がなければ経常黒字4300億円が予想)、電力料金値上げ800円(月間・標準家庭)と伝えている。かくも大きな鯨が吐く息は柏崎刈羽の空気を腐らせもするし透明度を高めもする。

会田陣営と桜井陣営、巨鯨に清浄な呼吸を続けさせる秘策がありますか。

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農業と原発に明るいきざし②

農業と原発に明るいきざし② 2008.5.7.

潤沢にある食糧とエネルギーを使って、いかに生産を高め豊かな暮らしを築くか。これが21世紀初頭までの経済活動の主流である。近年、流れが著しく変わろうとしている。限りある食糧とエネルギー源をどのように分け合い利用価値を高めるか、地球全体で問われている。柏崎刈羽は農業地帯であり、世界一の原子力発電基地で時代の順風を受けつつある。羽ばたけるか否か、手をこまぬいていれば風はただ通り抜けるだけだ。

世界災害統計は2007年世界で最も被害の大きかった災害は中越沖地震で13千億円と発表している。地震としては局所的であったが原子力発電所があったため膨大な被害額を認定されたのだろう。原発はいまもって再稼働の見込みが立たない。

だが、全号機が「止める、冷やす、閉じ込め」て安全に停止した。思いもかけぬ抜き打ち実験か奇襲攻撃であったが、それだけに放射能漏れもなく日本の原発技術のレベルの高さが実証されたのである。発電量でも建設・運転の技術水準でも世界一の柏崎刈羽原発なのである。

にもかかわらず柏崎市と刈羽村の高齢化率は高く人口は減り続けている。原発誘致から40年、発電開始から25年たっても県内外の原発を見る目は巨大な実験場でしかなく、電力供給という甘い果実だけは頂戴しようと狙われていたという事だろう。

企業は投資をする場所を決める時、その地域のメリットとデメリットを計りにかける。中越沖地震を乗り越えた実績を安全安心ととらえ投資をするか、電力供給があれば原発は遠くにあればよいと判断するか。地元住民の気がかりなことである。撤退した企業もあり再投資時期を迎える地元企業もある。

原子力発電所建設の技術を持つ日本の企業は中国・インドなど世界各地で原子力発電所の商談を進めている。中越沖地震で証明された技術は高い評価となって原発建設受注企業に多大な利益をもたらすだろう。これは巨大実験場を提供してリスクをとり続けた柏崎刈羽の貢献でもある。

エネルギー資源価格が高くなり、二酸化炭素の環境問題ありの中で原発の存在価値が高まっている。地震で止まった原発は東京電力に大赤字決算をもたらしたが、これも原発の貢献度の大きさを示すものだ。原発推進容認か反原発かの原理主義的論争より、これまでの貢献とマイナス、そしてこれからの可能性とリスクの論議に踏み込めなければ、原子力発電への順風を柏崎刈羽は受け止められないだろう。

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東京から見た透明度と地元から見た透明度

原発の透明度とは?  

2008.4.17

原子力発電は原油価格が高騰し、かつ地球温暖化防止の対策の切り札として世界的に注目される流れにある。1986年チェルノブイリ(ウクライナ・旧ソ連)で原発事故が発生し原発建設は停滞した。放射能漏れや放射性降下物で広範囲が汚染され事故から原発から30km以内に居住する十数万人が移住したという。

柏崎刈羽原発から30km、西は大潟町東は寺泊で長岡市・越後川口・十日町も範囲内になる程の地域である。これがきっかけで世界は脱原発の気運が高まったが、日本は原発建設を続けた。2006年アメリカの原発会社を東芝が買い取り、アメリカ・英国などで原発の受注をし中国・インドの原発も手がけようとしている。原発建設技術では世界トップレベルにあり、柏崎刈羽原発が地震で放射能漏れなど大事故に至らなかった技術を高く評価する声もある。

原発から出る放射性廃棄物の処分や放射能漏れを含む放射性物質の管理の心配は今も解決されていない。現に中越沖地震では原発が想定を超える揺れに見舞われ、それ以前の問題として原発の配管の強度計算にミスがあった事が最近明らかになった。

自然がもたらす災害は過去の経験と科学の最先端技術による想定で対策をたてるしかない。それを超える自然の猛威で被害が発生したら保障で補いのつく事柄ではない。宿命としてあきらめるしかないだろう。しかし最先端技術で想定できる事態を対策も講じないし公表もしないのは、配管の強度計算と同質の人為ミスである。

担当者が犯すミスは必ずそれを生み出すのは風土風紀があるのだろう。この風土を生じさせない事に、透明性の確保を声高に主張するのは大切である。ただ残念なことに安全と安心に係わる情報や透明度が増しても原子力発電のような最先端技術を判断する能力は住民にも市役所・役場にもない。

地震の情報がリアルタイムでなかった、なぜ遅れたのかとの議論が一時期あった。早ければ役所は的確な対策が打てたのか、判断を委ねられて混乱がひどくなったのでは・・・との声もある。面子や揚げ足取りでの発言の点数稼ぎは迷惑だし本質の論議を妨げる。

情報・透明性の開示は専門家の討論や発言をマスコミが味付けして住民の理解と納得になる。だが留意すべきは東京など中央官庁や学者もマスコミも日本全体の安全のバランスに比重を置き、柏崎刈羽の安心と安全はその次に考えると思う。柏崎刈羽の安全より日本の発展が優先される。東京で使う電力を柏崎刈羽で生産する論理である。

人為的ミスを防止するのは情報と透明性だけではない。地元住民と原発が利害を共有した信頼関係の太いパイプが必要だろう。東京の人口増加と柏崎刈羽の人口減と高齢化率はまさに勝ち組と負け組である。原発の稼働率や貢献が住民生活に反映される工夫を政治は考えなければならない。

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柏崎市が第二の夕張市に・・?

原発の価値を売り込む 

2008.4.10.

東京電力は柏崎刈羽原子力発電所の地盤について説明会を開いた。会場の意見として二つ紹介している。「結果的にウソをついた東電には怒りを覚える。ただ、原発が落とすカネがないと、この地域は第二の夕張になる」「専門家が調べても活断層だと分からなかったのだから仕方がない。巨大地震が来ても大丈夫なように耐震性を高めてほしい」(朝日新聞)。住民のジレンマであり現実的な対応策が二つの発言に集約されている。

地震災害復旧で柏崎市は財政非常事態を宣言したほどだから、原発がらみの補助金や交付金を使い果たしている。このまま時間が過ぎれば夏山登山で飲み水を切らしたようなもので、原発の安全安心より飲み水の確保が優先されかねない。地震による住民の被害は大きいが、原発という特殊財源を持ちながら財源枯渇とはどういう事だろう。

夕張市と柏崎市はエネルギーの町で共通している。だが石油に取って代わられた石炭と時代の最先端を行く原子力発電では月とスッポンである。夕張市は石炭産業が斜陽化する中で転換政策に観光を取り上げ失敗して財政を破綻させたと伝えられている。柏崎市は原子力発電で東京の発展に多大な貢献をしている最中である。

原発が地震で止まっただけで財政危機とは非常事態ではなく異常事態というべきではないか。市の財布にお金がないのはこれまでに貰った金額が少なすぎるのか、それとも無駄使いをしたか。原因はこのどちらかであり、また両方かも知れない。地震以前から柏崎と周辺地域の活力が衰えているのは誰もが感じていた事だ。原発があったからこの程度なのか、原発があったからこんなになったのか、議論の分かれるところで反原発派の論拠になり、かつ原発推進派の論拠でもある。

原発の貢献とリスクに見合うだけの果実を地域住民は食べ蓄えていたのか。この視点から論議か重ねられて来たとは思えない。反原発派と原発推進派がかみ合わない不毛の論争を繰り返し、政治活力を拡散し政治の交渉力を弱めたのではないか。東京都から柏崎刈羽を支援する大きな旗が振られた報道がないのはその証明だろう。

原子力発電がエネルギー源として多大な貢献をしてきたのは事実であり、近年の石油・ガス・石炭の国際価格の高騰はこれからも原発への期待は大きい。日本とフランスが原発先進国で、頓挫したアメリカや欧州も原発復権が進みインド・中国が新規参入である。

柏崎刈羽は原子力発電基地としての貢献を全国に向けて発信すべきだろう。宮崎牛を作るのは宮崎県農民だがセールスに東知事も奮闘している。柏崎刈羽で電力を作るのは東電だが原発の危険を引き受けているのは住民であれば、電力の価値を住民が広報宣伝する時代が来ているのかも・・・。

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廃炉で論争をしたら・・

廃炉の技術は確立されているのか否か 2008.4.3.

東京電力が柏崎刈羽原発の海陸域活断層調査結果を発表し、原子炉の地震耐久力の論議が熱をおびてきた。マグニチュ-ド8の巨大地震に耐えられる原発補強と新聞は伝えている。中越沖地震の本震(1013)6.8であり余震(1513)5.8である。平成7年阪神淡路地震が7.3で高速道路が倒れ大火災に見舞われた。マグニチュ-ド8など想像もつかない。

理論値で耐震力を決めるがこれとても自然の猛威が相手では絶対安全とは言えない。人間の技術は進歩しているが、先端技術は何時でもリスクを伴う。原発と自然の組み合わせに絶対安全などない。しかし、日本は未来の技術開発を先物買いして、原子力エネルギーで豊かな生活をしようと選択したのだ。原発を巨大地震に耐えられる大工事で再稼動させなければならない。

反原発グループには廃炉の声もあるが、日本には廃炉にする技術が出来上がっていない。地震で倒壊した家を解体して撤去するのとはわけが違う。原発専業卸電力会社である日本原子力発電(日本原電)が、東海原発1号(166000Kw)を30年営業運転して1998年に運転終了した。2001年ようやく全燃料取り出しまでが完了した。これから廃炉・解体が終わるのは10年後の2017年が予定だそうな・・・。

放射能が漏れたか漏れないかと色めき立つ柏崎刈羽原発だが、放射能で汚染された鉄骨やコンクリート塊が山積みされ運搬される。このようにして廃炉・解体の技術を研究開発している途上なのである。すなわち柏崎刈羽原発は技術的に廃炉が出来ないのであり、反原発派の主張は空論である。最大の補強をして原子力発電を行う、それしか選択肢はないのであり道は一本道である。以上は筆者の認識である。

もし廃炉の技術が確立されており、経済的利害の問題であるとすれば「再稼動か、廃炉か」で住民が議論する意義はあり意思の集約は大切だ。だが安全に廃炉・解体することが技術的に不可能であれば、東電は反原発派と正面から論争すべきだろう。それによって住民は原発の実態を知り、理解は深まり共生への取り組みも変わる。

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反原発では議論がストップ

空疎なお話 原発廃炉 2008.3.25

ごり押しで済まされる問題ではない

地震が想定されるとして原発設置許可の取り消しを主張してきた反原発派は、中越沖地震をきっかけに柏崎刈羽原発を廃炉にしようと活動をしている。県知事も廃炉まで視野に入れた検討と発言してたわごとに箔がついた感じである。

世の中には必要欠くべからざる物だが見るのも嫌だし、近くにあるなどとんでもないと毛嫌いされる物がある。

美味しく食べて楽しいひと時を過ごさせてくれる魚・肉・野菜・コメや酒でさえ翌朝には糞であり尿となる排泄物である。このリズムの良し悪しが体調で元気が出たり気力が衰えたりのバロメーターである。これは命の循環である。

ごみ焼却場と原発は遠くにあり、臭いもせず放射能の危険も心配しないで暮らせる事が有り難い。だが生活必需施設であれば何処かに設置しなければならない。トイレのない家はない。反原発派の主張は原子力発電の否定が根本にあり、活断層と地震は理論の補強である。中越沖地震が直撃して予想が正しかったとする風潮も一部にはあるが、万馬券を引き当てたということではないか。

衰える地力を活性化する議論をしよう

地震後、新聞は原発誘致の経緯までさかのぼって報道した。原発用地買収や賛成反対に割れた住民とその後の展開、不透明な活断層情報など・・。思いを改めさせられる点も多かった。プロジェクトが大きければ大きいほど人間の欲得も深く複雑に絡むのは致し方ない。透明度を高めて公明正大に大事業が進められるのかと正面切って開き直られるとイラツクが、手法としてこの程度までは仕方ないのかな・・・が読後の感想である。

仮設住宅など復興の模索も報じられているが、イベントなど気持ちを鼓舞する催しはいろいろあっても経済力が衰え気味であるだけに決め手は見当たらない。この現況で原発凍結・廃炉を前提にしてどんな柏崎刈羽の産業を起こそうとしているのか、廃炉の埋め合わせのご高説もお話願いたい。

柏崎刈羽が背負っている原発リスクの一面が地震で明らかになったことは確かだ。電源三法交付金や雇用など原発の恩恵もまた知られている。しかし、トータルでリスクが勝るか恩恵が勝るか論議をする必要はあるだろう。これまでもそうした議論は続いてきた。だが原子力発電そのものを否定するグループを一方の代表と認めた議論から原発共存共栄の方策は生まれようがない。

直接的利害関係者でない住民グループや個人の積極的発言が待たれる。

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原発再稼働

柏崎刈羽復興の鍵は原発再稼動 2008.3.20

中越沖地震から8ヶ月、大小あれども住民すべてが直接被害を受けつらい冬を越した。倒壊家屋の整理も進み新築住宅もあちこちで見られるが、空き屋敷も目立つ。経済的背景は良くない。米価は大幅値下げで減反は強化され農業収入は減った。原発は停止したまま働かず廃炉と再稼動の論議が足の着かない空中戦をしている。

窮迫する財政と経済貢献度

原発賛成か反対かと不毛の論議を繰り返して30年、地震で原発完全停止の現状でかすかに聞こえてくるのは変わることのない賛成・反対の声である。反原発派はかねて指摘していた活断層と地震を根拠に建ててはならない場所であると叫び、原発で働いた業者は事業の先行きに不安を覚え、柏崎市は震災復興の予算に苦慮し市長など10%、職員3%の給与削減で市民に窮状を知らせている。

「がんばろう 輝く柏崎」「わたしたちは負けない」とスローガンを掲げても生産があり稼ぎがあっての復興再建である。柏崎刈羽の基幹産業は原子力発電である。日本の東京の経済活動に偉大な貢献をしている。東電は8年3月期1550億円の赤字決算予想であるが、地震被害と原発が動かないからである。原発貢献の逆証明である。しかも石油価格が高くなっても経済活動に影響が少ないのは日本の原子力発電の比率が高いからだと言われている。

原発基地としての未来図

 他所の地域になくて柏崎刈羽にあるもの、それを特産品といい差別化の手段として使う。観光では柏崎の綾子舞であり出雲崎の良寛さんがそうだ。柏崎刈羽の最大の差別化商品、それは原子力発電をしていることだ。にもかかわらず反原発派が一部に根強い支持基盤を持ち続けているのは、原発の危険性と恩恵にバランスが取れていないと地域住民が感じ取っているからだろう。

 北海道夕張市が赤字再建で有名になったのは、エネルギーが石炭から石油に変わる中で街造りの対応を間違えたからだ。柏崎市は最先端を行くエネルギー供給の街でありながら、震災前から原発関係交付金を使い切り財政は逼迫していた。お金の使い方にも問題はあっただろうが、人口の減少や高齢化率の進度をみれば、原発と共生して発展した柏崎刈羽とは言えまい。

 原発基地を中心に据えて柏崎刈羽の未来図を示す事で将来にわたる個々の生活設計が建てやすくなる。かけ声だけの「がんばろう 輝く柏崎」ではない活力の源泉になるだろう。

原発と震災復興には十人十色の意見があるでしょう。コメントを書き込んで下さい。

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震災復興の鍵を握る原発再稼動

原発再稼動の声が聞こえない

原発の安心と安全のため情報公開が大切だ、と南無阿弥陀仏・南妙法蓮華経とお念仏を唱えるように言われている。それでもデーターが書きかえられたり遅すぎたり分かりにくかったりで、柏崎刈羽原発の東電幹部職員がテレビカメラに向かって腰を曲げる映像はこれまで沢山見た。

中越沖地震でもあふれかえる情報が流れ新聞テレビや行政または東電の広報文書が直接届いたりする。原子炉の制御に支障が起き放射能が漏れたりなどで避難する事態は最重要情報である。しかし現況は情報の氾濫で普通の日常生活をしている市民村民の判断力を越えた技術情報が多い。発電タービンの羽根の損傷や抜けなくなった制御棒や原子力建屋のヒビ割れなど技術で解決のつくことかどうかは原発技術陣が共有する情報であって、一般情報で流れても不安を増す効果だけで風評被害につながりかねない。

中越沖地震は激しい被害をもたらした。個人的には被害の大小はあっても地域全体が復興して底力が上がらなければ個人の負担は大きくなり、地域に力があれば努力は大きな効果を挙げる。中越沖地震の復興は原発の復旧再稼動が鍵を握ると大方の市民村民は考えている。

一方で反原発派は廃炉まで公言している。原発推進派は声もなく原発容認派でさえひそひそと語り合うだけで公的発言は聞こえない。肝心の東電は再稼動を前提としているが、あらゆる困難と戦い抜いて再稼動にこぎつける強い意志がメッセージとして伝わっていない。原発構築物ごとに耐震基準が決められているように重要度の高い物ほど被害状況を明らかにし最新技術で修復可能か否か、どの程度の年月を要するのか。市民村民が最も求めている情報が無いから原発を復興するムードが沸きあがらない。

柏崎刈羽で東電が原発建設を始めてから約40年の歳月が流れた。当初地元折衝に当たった東電職員から木川田一隆東京電力()会長の話、木川田イズム(思想・哲学)を巧みに織り込んで原発と東電の基本理念を繰り返し繰り返し聞かせてもらった。また木川田会長は財界のリーダーでマスコミでの発言も多く、東電職員の話がストンと胸に落ちた。

建設・発電と時は流れ7号機まで完成してからも10年である。原発哲学の布教師の役割は原発利害関係者が原発推進派となって担った。説得力は衰え村民市民は眉にツバして聞くような感じになった。プルサーマル頓挫の時全戸お詫び訪問をされたが、愚策であり万策尽きた印象であった。

震災復興と原発再稼動が切れない関係にあると大方の市民村民は知っている。にもかかわらず原発支援の声が出ない。ここに問題の根があると思う。

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