日記・コラム・つぶやき

ビッグチャンスかピンチか

驚異から脅威へ発展する技術 2008.11.15

浅田次郎の短編小説集「お腹召しませ」に次いで「五郎治殿御始末」を読んだ。幕末から明治初期の激動期に足掻く下級武士の話である。

江戸時代の鎖国で熟成された文化が近代日本のエネルギー源であり、明治維新は画期的な夜明けと明るく捉えられているが、社会も価値も混乱し安堵の息のつけない庶民混乱の時代でもあった。「五郎治殿御始末」は桑名藩の中堅武士の身の処し方で、柏崎の戊辰戦争にも触れて面白かった。

 文明・科学の進歩は徐々にたゆみなく続くが、変化したな変わったなと日常生活で感じ社会に現れるのは、徐々にではなく爆発的であると歴史は語っている。下剋上から戦国時代は最新技術の「鉄砲」が統一し、明治維新は「黒船」が時代の幕を切り落としたのはその典型だろう。

 「お腹召しませ」の序を引用すると「戦後からつい先頃まで長く続いた高度成長は、革命という言葉に合致する発明などはほとんどない、漸進的な社会発展であり、われわれは享受されるものを健全に使用してさえいれば幸福だったのである。驚異の発明はたくさんあったが、脅威を感ずる発明はなかった」

 今も振り返れば革命のような激変はなかったが、社会は大きく変わった。テレビも自動車も日常生活に溶け込んだ。一方で技術の進歩が社会と溶け込めないでいるのが農業と農村だろう。

 開発された技術は改良発展する事はあっても後退する事はない。持てる力を発揮できなかった技術はインフラに亀裂を入れながら爆発のエネルギーを蓄えて行く。経済界が農業に関心を持ち発言し新規参入で瀬踏みをしている。エネルギーが吹き上げる時期が近いと見ているのだろう。

 構造的な改革を先送りした農業と農村は70歳代が主要農業者だ。歳月に先送りはなく誰もが確実に加齢して行く。農業地帯A市の幹部職員いわく「このまま若者が流出すれば10年後に工場はあっても従業員がいなくなる。工場誘致どころか工場流出が起きる」。稲作も田んぼはあるが農業者がいなくなる事態が目の前にある。これは食糧生産産業のビッグチャンスかピンチか、農業界と経済界のセンサーは正反対を向いている。

 最後にまた浅田次郎の引用「近年われわれがすこぶる急進的に使用するようになったコンピューターと携帯電話機は、驚異より脅威である。これらの普及によって、社会の本質も人間の本質もくつがえったような気がする」。作家の創造力はすごい、ここから「大手三之門御与力様失踪事件之顛末」という神隠しの話を紡ぎだすのである。 

 スーパー店頭で北海道米が青森米より高くなり、佐渡コシヒカリが新潟一般コシヒカリより安くなった。逆転は起こる。農業技術も除草剤は驚異であったが脅威の技術は近い。受け入れのビジネス・スタイルの確立は事業家の役割でインフラ整備は政治家の役割である。

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農業引退の準備

60歳代専業農業者の話   2008.11.3

欅の葉もなかば落ちた晩秋の越後平野に友人を訪ねた。10年ほどのお付き合いで農業の今と過去と未来を語り合える貴重な友人である。彼は青年の頃からの専業農業者で蒲原平野のど真ん中で頑張り続けた。昭和23年生まれであるから戦後の農業史そのものである。いま還暦も過ぎ老いの坂に踏み込む身の処し方を語った。

彼は数年前から農業からの撤退を準備し始めたという。まず大農機具を買う事を止めた。使っている大農機具が壊れたらもう買わないのだという。現在は乾燥機が壊れたので隣の農家に作業を依頼している。乾燥代が80万円ほど出費になるがいわく「お隣さんが喜んで年末にはビールをお礼に持ってくる」。

いずれは農業から引退するのだから新規設備に投資するより気が楽だそうな。このまま頑張ったら体力が尽きて引退となる。昔はやむを得なかったにしても今も周囲のほとんど体が効かなくなるまで働いている。何のためにこの世に生まれてきたのか考える歳月もないまま死んで行く。そうはなりたくないと達観している。

また彼は農地法が悪いとも言う。マスコミも農政も百姓の土地の執着が強くて大規模経営など農業近代化の妨げになっていると何十年も言い続けているが、今の百姓は先祖代々の土地にしがみつきたいと思っていない。

自分は親を看取ってあの世に送ったが息子たちは親を看取るどころか介護も出来ない状況が珍しくない。

農業も大きく変わって親と同じ事をしては生計が立たないからよそに職場を求めて行った。年老いた自分は田んぼを売って老後の生活に当てる。だが田んぼの値段が安い。生活の元手にしようと売る田んぼの買い手は貧乏人の百姓だ。これでは高く売れるはずがない。一流の大企業に農業を認めたらいい。もっと高く買ってくれるだろう。百姓仲間の土地売買しか認めない農地法が悪い。彼の言葉に熱がこもる。

汗を流して働けば貧しくとも生計が立ったのが農業であり農村であった。田んぼを耕す耕運機から始まった技術進歩で家業としての農業が商品経済に巻き込まれた。決定的な技術は田植え機と除草剤の登場だろう。田植え機は一時期に集中的に人手を集める必要をなくし、経営面積拡大のくびきをはずした。除草剤は日本農業の宿命とも云うべき雑草との戦いをなくした。早乙女でにぎわう田植え風景も消え、田んぼに這いつくばって草取りする人も消えた。田植えの終わった見渡す限りの水田地帯に人影もない今の風景である。

息子や娘に介護も看取りも頼れない世の中になって、土地への執着をなくした老農民が先を思って立ちすくんでいるのに、自作農主義を貫く農地法は時代に合っていないのではないか。これも農政の歪みか。

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浅田次郎の短編と石破講演

お腹召しませと石破農水相        

2008.10.29

浅田次郎の小説「お腹召しませ」は江戸時代末期を舞台にした短編小説集で、横になって読めるし何より安いが有難い文庫本である。浅田次郎は冠詞に手だれとつく作家であればさすがにこの短編も面白い。

家督を譲られ息子もいる入り婿が公金に手を出し女と駆け落ちする。義父で隠居の武士が体面をつくろい家名を存続させる唯一の方法として切腹を上司や妻や娘に勧められ死に装束までするが、家名と命と真実はいずこにありやと老僕に諭され悟り、駆け落ち婿と女の乗った舟を河原で見送る話である。

石破農水相が岡山県笠岡市の講演で「小泉改革は間違いなく地方の疲弊をもたらした。大事なのは農地や農業者の年齢構成。(中山間地の農業者に払われる)直接支払いを恒久化する。国家の中心政策が減反維持に特化しているのを改め、飼料自給率をたかめるなどに重点を置いていく」と話した。(毎日新聞)

小泉改革で地方が疲れているのは確かだが、農業の高齢化や疲弊は減反政策に40年も特化して来たからだろう。1992年「作る自由売る自由」を標榜して

減反政策転換を図りながら頓挫し、2007年は生産調整から農政が手を引き農業者団体に委ねた。原則作付け自由の新農政「品目別横断的経営安定政策」が施行された。しかし「米の作りすぎはもったいない」のポスターが社会を賑わした様に農政は今年も生産調整に積極的に関与した。

 1992年の「作る自由売る自由」も2007年に始まった「品目別横断的政策」も需給調整機能に市場は欠かせない。だが今年のコメ価格センターは上場するコメがなくなり休場した。いま株価が暴落しているが東京証券取引所は開場している。市場閉鎖は社会の重大事だがコメは市場が働かなくても流通している。市場を通じて需給調整する筋道をつけながら障害物で機能不全になっている。 小泉改革は鮮やかな設計図を描いたが実行されなかった。減反維持の特化をやめ、農協や農業者が直接売れるコメ市場を整えて需給調整がされなければならない。

なにごとであれ体面を保つには苦労がつきまとう。何代も続いている農家が多く日本文化の源泉の一面を持つ。農業者は家も含めて現状維持が難しい情勢で可能性も少ない事を承知で老いた体で耕して限界に立つ。情としての救いが中山間地直接支払いであれば、一方で農業が産業として立つ位置も決めねばなるまい。

石破大臣は自給率とは、3食何とか食べて普通に働いていけること。と述べておられるが、これこそ駆け落ち婿の舟を見送る老武士の安堵であり老農の安堵であろう。減反の特化を疲弊の根源と喝破された石破大臣に期待したい。

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日本人よ、今こそコメを食べよう 

井上ひさし(作家)氏と石破農水大臣 2008.10.25

文芸春秋11月号作家の井上ひさしさんの文章のタイトルをそのまま借りました。井上ひさしさんは作家稼業のかたわらコメについて長い間発言をしてこられた。こんども汚染米事件からミニマムアクセス米、水田ダム効果など述べています。

「農家と水田は安心と安全を担う公共財だ」と警察や消防署や公立小中学校のように独立採算制で維持できるはずは無いから税金を使うしかないと結んでいます。

同じとき防衛長官2回と国防大臣をこなし経験豊富な石破農水大臣が就任しました。最先端技術を扱う力と合理性の塊の自衛隊のトップが合理化の最も遅れた農業政策のトップとはいささか驚いたが、石破農政に期待が持たれる。

自民党総裁選挙で地方の疲弊を訴えていたが、鳥取県八頭郡が出生地で選挙区であれば嫌でも限界集落が眼に入り農業が産業経済の何処に位置すべきか、国土保全に果たす役割など石破イメージは農林大臣になる前から衆議院議員として持っていただろう。1992年農林次官にも就任している。

農業は産業であり自民党の票田でもある。ここが悩ましいのである。限界集落でなくとも農村と農業は元気ないが農業技術は大変な進歩をしているのである。一人で多くの面積を耕作し多くの人が食べる農作物を作っている。たとえばコメは50年間に50100倍効率が良くなっている。

単純計算をすると農村人口は50分の1から100分の1にリストラされるのである。票数の減少を避けたい自民党は減反政策という一斉一時休業で痛みを均一に負担させ(隣の家に蔵が建てば腹が立つ気持ちの逆利用)合理化を押し止め、一方工場の地方分散や公共土木事業で農村の余剰労働力を吸収して票田の維持に努めた。だが時とともに工場は中国など東南アジアへ移り、公共土木事業は激減した。票田は政治がその場しのぎであると気づいた。自民党は参議院選挙で惨敗した。

工場勤めのかたわら稼業の農業をしてきたお父さんも定年退職し、年金を貰いながら農業一途に打ち込んだが米価は下がり続け農業をする体力も今は限界に近づいた。

井上ひさしさんは消費者が高くとも国産米を食べて、農民が豊かに暮らせて日本の自然や文化が守れる主張する。石破大臣は生産流通の遅れている部分(典型は事故米管理)の改革で農家所得の向上を図るだろう。平行線をたどって交わることがないようだが、農村は農業をする人の住む所の発想を変えて、農業をしないで生活する人が過半を占める農村を造るなら共通ポイントが生まれるのではないか。

一つの集落の限られた耕地の広さで養える頭数は決まっている。間引きや姥捨ての悲しい歴史がある。効率の良くなった農業が集落戸数を維持するのは非農家に職場を与える方策を探ること、産業構造の転換と言う真のリストラが政治の仕事であろう。新しい血の入った票田は気鋭の政治家の票田になる。

おしゃべり過剰。井上ひさしさんの日本文化への思い入れと石破農相の政治力を並べ置いたら夢が膨らんだ。

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ご当地ソング 出雲崎

ジェロの海雪と直江兼続 2008.2.23

出雲崎は全国ブランドの良寛さんと夕陽の沈む町で知られている。その出雲崎に朝陽が差しはじめた。話題の黒人の演歌歌手ジェロさんのデビュー曲が『あなた追って出雲崎/悲しみの日本海』の事である。

出雲崎町は切妻作りの家屋が海岸添いに隙間なく立ち並び、荒れる冬の海を背景にした景観で全国に知られていた。漁業の変遷とともに海側の住宅地はくしの歯が抜けたようになり、山を越えた内側も農業の衰退で住民が減っている。だが観光客を呼び込もうといろいろ努力してきた。

その力がジワジワ浸透したのだろうか。有名作詞家の演歌歌詞に取り上げられ異色で話題の歌手のデビュー曲となった。2月20日の発売である。出雲崎が演歌に乗って全国に知れ渡るのは間違いない。「良寛さん」と「夕陽」に「あなたを追って出雲崎 悲しみの日本海」を加えてブランドをそろえた出雲崎町の企画力と観光業者の力量が期待される。

 来年のNHK日曜大河ドラマは『天地人』で主役は直江兼続である。直江兼続は上杉謙信の養子景勝に仕えた。上杉家は豊臣秀吉政権の五大老の一人である。昨年の大河ドラマ『風林火山』が信玄と謙信であったが、その30年後が舞台で続編みたいなものだ。

 中越沖地震でJR柏崎から直江津が不通になり、いつもは通り過ぎるだけの直江津駅に降り立った。2年後に放送される大河ドラマ『天地人』の主役「直江兼続」の大きな看板が掲げられ手回しの良さに感心した。また長岡市にも目抜き通りに同じような看板が出ていた。

昨年の『風林火山』は信玄と謙信。謙信を語れば枇杷島城主宇佐美駿河守は欠かせない重要人物である。城址の記念碑が母校柏崎農業高校に今もある。柏崎市観光関係者が大河ドラマを観光材料で宣伝しないから宇佐美駿河守は端役で軽く絡むのかなと思っていた。物語が進んで大物役者の緒方拳の宇佐美駿河守が登場してビックリした。中盤から登場した緒方拳宇佐美駿河守は最後まで重要な役割をしていた。

観光客を誘い込みたい柏崎はこのビッグチャンスをみすみす見逃したのではないか。NHKは番組の最後に流す地元観光案内にかえて中越沖地震災の募金を伝えていた。全国では中越地震と中越沖地震の区別がつかない人も少なくない。地震の名称の付け方が失敗している。広報の重要性の認識不足とタイミングに欠ける点で脈絡のつながることなら根は深い。筆者の勉強が足りないなら詫びなければならない。柏崎の観光関係者のご意見が承りたい。

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田舎でインターネット

情報化社会に対応した地域を      

2008.2.03

情報氾濫の世の中だが一翼を担うのはインターネットだろう。日本経済新聞(127)最終面に「インターネットで山村暮らし」が載っていた。情報通信の発達が過密の都会人に過疎の農山村を振り向かせるきっかけは何か、と日頃思っていただけに何が書いてあるかと読んでみた。

私が小説をどの程度に読むかといえば30年以上日経新聞の連載小説を読み、今の『望郷の道』も愛読している。読書の程度を告白したのは筆者である熊谷達也氏をまったく知らなかったからである。宮城県生まれの作家で直木賞や山本周五郎賞の著書があるのも勿論知らなかった。

インテリが田舎へパソコンを持ち込んで都会と繋がりながら田舎暮らしとどのように折り合いをつける話かと興味を持って読んだ。インターネットで外国為替取引をして損をした体験を述べながら社会の現象流れを切り取っている。

インターネットで検索したら著作がマタギをテーマにしているとあり早速『邂逅の森』(直木賞・山本周五郎賞)を買ってきた。明治23年生まれのマタギを生業とする主人公の青春から壮年を描いている。春から秋は森林で働き冬から雪解けまで熊など獣を狩りして暮らし、貧しくはあるが家族ということ生きるという事の意味がひしひしと伝わってくる。いまに生きる我々が仕事を通じて自分を確かめにくい悩みを思い知らされる。近年読んだ最高傑作である、が私の評価だ。一連の著作を読みたいと思う。

環境問題が論じられる中、輸入外材のあおりで森林は荒れ林業も衰退している。水田も山麓から荒廃地となり「限界集落」なる言葉も出来た。企業は利益を、個人は豊かな生活を求めた結果が格差社会ではやりきれない。しかも農山漁村と都市を合算した全国総合生産力は次第に低くなっているのではないか。水源である山村の荒廃は水の恩恵を受けている都市住民に負担を求める時代は目の前だ。柏崎刈羽原発もまったく同じ構図である。

情報通信物流の発達は都会と農村の距離を小さくした。しかし農村から都会への人の移動は加速されている。就職や進学で都会に若者が移り、退職した団塊世代は居住場所の選択をしている。全国の市町村が競争にさらされている。柏崎市刈羽村もそうだ。I町が新婚さんいらっしゃいと多額の奨励金を出すとか、若者が望んでいることを勘違いしているのではないか。

農業したいとか田舎に住みたい人はこれまでもあったし、これからもあるだろう。だが失敗談にも事欠かない。原因の一つは都会との隔絶感がある。作家稼業は編集出版が絡むから田舎に住んでも都会とのパイプは太い。政治や実力のある企業は普通の人にも都会とのパイプを太く出来る基盤を作る必要があるだろう。可能な仕事は今でもあるはずだ。

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村も都会も時代の流れは変わらない

稼ぐに追いつく貧乏なし

2008118

映画「三丁目の夕日」に感動し「続・三丁目の夕日」でまた涙がこぼれた。

昭和33年東京タワーが出来た頃の東京下町の生活風景である。向こう三軒両隣に血が通い町内が地域社会であった様子が良くわかる。

その年の春、私は農業高校を卒業して父母と農業に明け暮れする生活が始まった。約100戸の集落に小学校からの同級生は皆農家で男子5人女子6人の11人。家の跡継ぎのK君は会社に就職し兼業農家の道を選び、私は専業農家の後継者の道を選んだ。他の男子3人と女子4人は県外へ就職し2人は家事見習いと農業の手伝いしながら結婚までを村で過ごした。

稲作は小型耕運機が珍しく牛馬が耕し荷物の運搬にも主力であった。田植えは5人10人が横一線で腰をかがめて植える。早乙女風景の名残である。次に手押し除草機と炎天下にはいつくばる二番除草作業。秋の刈り入れは鎌で一株一株刈り稲架(ハザ)にかけるのは月明かりになる。

隣保班(リンポハン)五人組(ゴニングミ)があり、集落は自治の単位であった。昭和33年は東京には町内会、農村には集落が社会として機能していた。「三丁目の夕日」はそれを思い起こさせた。

家族は祖父祖母と父母と妹と弟。何処の家庭にも似たような家族構成で同じような暮らし振りであった。いろいろの事を古老は教え子供は大人の日常から学んでゆく。働く事の大切さを教わったことわざに「稼ぐに追いつく貧乏なし」があった。収入が少ないから物を大切にまた節約し寸暇を惜しんで働けば人並みの生活が出来ると経験で知っていた。

稲作はコメ売り上げの2割が肥料代・農具などの経費で、8割が労働の報酬である。手と足と体で作ったコメの代金は、周辺の農村の生活品と娯楽を提供して賑わった柏崎商人の売り上げとなったから農民以上に豊作を祈った。

時と共に技術進歩をしたのは農業も変わらない。耕運機・田植え機・除草剤・刈り取り機・乾燥機は何処か遠くの工場で作られ、コメ代金は生活費より多くが経費として柏崎刈羽に留まらず遠くに飛んで行った。かくして経営の神様が労働の神様の上に鎮座ましまし「稼ぐに追いつく貧乏なし」と誰も言わなくなり、「正直の頭に神宿る」も忘れられたごとくである。倫理観が大きく変わったのが近代化である。

「三丁目の夕日」の街と農村は別の展開をしているようだが、同じ大きな流れの中にある。過疎と過密に偏ったバランスを正す知恵が求められている。

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