経済ジャーナリストの農業論②
農業が日本を救う(続) 2008.12.16
農業技術力が十分に発揮されるには耕作面積の拡大が必要である。新農政が「認定農業者」と「集落営農組織」を柱に据えた狙いはそこにある。認定農業者の資格は最低4ヘクタールの耕作面積を持つことだが、稲作農業者の現実は20ヘクタール経営が珍しくない。
集落の耕作面積は固定しており人口もほぼ固定している。集落で養える人数は暗黙の了解が歴史的にある。鎌と鍬と畜力の農業で画期的農業技術の生まれなかった時代が続き田畑の生産力は横ばいで雇用力も一定であった。今の農村は形をそのまま残しての高齢化であり中は空洞化している。新農業新技術の登場と高度経済成長がもたらした結果である。
形を残しながらとは集落の農家戸数が変わらずに、各戸は1ヘクタールに満たない面積で年金を貰いながら耕作している事実を指す。ここに20ヘクタールの効率的農業者が出現すると20戸のうち19戸が離農する計算になる。現状では小地主が増え意欲のある農業経営者に耕地は移りつつあるが、流れが加速して数年後には100戸の集落は5戸が農業経営者で95戸が非農家の集落になる。非農家の就業先がなければ集落戸数は二十分の一に激減し集落は機能しなくなる。また都市の過密と農村の過疎がさらに激しくなる。
『農業が日本を救う』の中で著者は耕作放棄地の激増、超高齢化する農業従事者について、カゴメのトマト栽培の実績を示しながら企業の参入の問題点と意義を「既得権者たちの『村社会』を企業の参入で壊せ」と書いて説得力がある。『村社会』を農家、農協、官僚、族議員さらには農業土木に群がる既得権者と定義つけたのは経済評論家の眼力であろう。
農業経営者の規模拡大であれ、異業種企業の新規参入であれ新品種・機械化・施設・農薬などの有効利用を競ってコストを下げ利益の極大を図るのは当然である。面積当りの労働力が極小化に向かって進むのも当然である。農村集落の面積は変わらないから就農延べ人口が減る事で集落内失業を産むことになる。
1970年代から顕著になった農業技術革新は地方への工場進出や高度成長で集落内失業を吸収し兼業農家として定着し、集落の伝統や機能は曲がりなりにも維持された。だが集落内に若者や壮年は極端に少ない。そこに押し寄せる企業化農業や個人大規模経営の流れを受け入れながら集落内失業を出さず新規就業をどのように作り出すか。
いまに始まった問題ではないだけにこれまでに農業学会、農政関係者、農協組織、政治家などの課題であったが、いまだに明確な青写真が描かれていない。財界からの農業提言は多いが、コスト低減の裏にある新しい農村像は示された記憶がない。農村と都市の間に隔壁があり文化も生活も対比されてきたが、情報・通信・物流の改革は隔壁を低く透明度を高くした。こうした時代の都市と農村のあり方に活発な提言が待たれる。
著者の財部誠一氏は農協取材を拒否されたと述べておられるが、農協が論戦に加わることで問題点が明瞭になるであろうし、経済評論家として農業関係指導者と違った色のライトを当てて欲しい。また今年のコシヒカリ価格急騰を取り上げておられるが、コメ市場の機能不全の視点からの次の著作に期待したい。
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