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2008年12月

大きなクリスマスプレゼント

東芝の柏崎新工場への期待 2008.12.25

突然に東芝が柏崎に工場を建てリチウムオンウム電池を製造するニュースが流れた。人口が減り高齢化が進み中越沖地震が追い打ちをかけて意気の上がらない柏崎にこれほどの大きな明るい話はない。世界的な金融危機でトヨタでさえ赤字決算を見込み柏崎の有力企業のリケンが派遣社員の解雇に追い込まれる中で、なぜ今ビックリする大情報が飛び込んできたのか推測してみたい。

市長選挙は激戦だったが、東芝柏崎進出の情報を察知し誘致の功績を選挙戦で訴えれば有権者の心をつかんで勝敗の行方を左右したと思われる。それほどの値打ちのある情報が選挙戦の前にも最中にも流れなかった事は何故か。きわめて高度の政治決断で極秘事項であったと思われる。東芝の新工場建設はかなりの期間検討されたはずである。田中角栄元首相のコンピユウター付ブルドーザーを思い出させる発表である。

柏崎刈羽は原発があり再稼動が地元も国も優先課題である。だが柏崎市の衰えは地震以前からであり原発の存在が複雑に絡み合っているのは、「口にする人、しない人」の違いはあっても暗黙の合意があるようだ。観光業関係者の中には「原発は百害あって一利なし」と公言する人もいる。

原発は関連企業と従業員を潤したが、若者の大半は域外に去り地域は高齢化の波におおわれて活力が衰えている。もちろん原発立地のせいだけではなく農業の足踏みなど諸々の要件が相互に悪作用しているだが・・・。

なにはともあれ原発立地、しかも世界一の原発基地である柏崎市の衰退はこれから進める新原子炉の建設や放射性廃棄物の処理やプルサーマル推進など原発行政の障害にこそなれ応援にはならない。これに政財界や原発関係者が危機感を持ったとしても当然である。

リチウムイオン電池製造の工場は柏崎が最適地である説明はない。現在稼動中の長野県佐久市と比べて電力料金割引を考慮しても優位性があるのか。工場立地のマイナス要因を乗り越えても、電源立地の衰退に歯止めをかける高度な政治的配慮が東芝のみならず政界財界にある、と考えるのは穿ち過ぎか。

柏崎刈羽の人口構造は子供の生める年代層が薄くなっている。青壮年層が少なく労働力の質は高いとは言えない。東芝の最先端技術工場が操業することは中堅社員が柏崎へ移住する事になるだけにその活力は経済効果にとどまらず生活慣習・文化に人的資産効果が及ぶ期待は大きい。原発企業の中堅社員が数年間の渡り鳥人事で人的資産効果の波及に限界があり原発効果を発揮できなかっただけに、東芝の人事政策も注目される。

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経済ジャーナリストの農業論②

農業が日本を救う()   2008.12.16

農業技術力が十分に発揮されるには耕作面積の拡大が必要である。新農政が「認定農業者」と「集落営農組織」を柱に据えた狙いはそこにある。認定農業者の資格は最低4ヘクタールの耕作面積を持つことだが、稲作農業者の現実は20ヘクタール経営が珍しくない。

集落の耕作面積は固定しており人口もほぼ固定している。集落で養える人数は暗黙の了解が歴史的にある。鎌と鍬と畜力の農業で画期的農業技術の生まれなかった時代が続き田畑の生産力は横ばいで雇用力も一定であった。今の農村は形をそのまま残しての高齢化であり中は空洞化している。新農業新技術の登場と高度経済成長がもたらした結果である。

形を残しながらとは集落の農家戸数が変わらずに、各戸は1ヘクタールに満たない面積で年金を貰いながら耕作している事実を指す。ここに20ヘクタールの効率的農業者が出現すると20戸のうち19戸が離農する計算になる。現状では小地主が増え意欲のある農業経営者に耕地は移りつつあるが、流れが加速して数年後には100戸の集落は5戸が農業経営者で95戸が非農家の集落になる。非農家の就業先がなければ集落戸数は二十分の一に激減し集落は機能しなくなる。また都市の過密と農村の過疎がさらに激しくなる。

 『農業が日本を救う』の中で著者は耕作放棄地の激増、超高齢化する農業従事者について、カゴメのトマト栽培の実績を示しながら企業の参入の問題点と意義を「既得権者たちの『村社会』を企業の参入で壊せ」と書いて説得力がある。『村社会』を農家、農協、官僚、族議員さらには農業土木に群がる既得権者と定義つけたのは経済評論家の眼力であろう。

 農業経営者の規模拡大であれ、異業種企業の新規参入であれ新品種・機械化・施設・農薬などの有効利用を競ってコストを下げ利益の極大を図るのは当然である。面積当りの労働力が極小化に向かって進むのも当然である。農村集落の面積は変わらないから就農延べ人口が減る事で集落内失業を産むことになる。

 1970年代から顕著になった農業技術革新は地方への工場進出や高度成長で集落内失業を吸収し兼業農家として定着し、集落の伝統や機能は曲がりなりにも維持された。だが集落内に若者や壮年は極端に少ない。そこに押し寄せる企業化農業や個人大規模経営の流れを受け入れながら集落内失業を出さず新規就業をどのように作り出すか。

 いまに始まった問題ではないだけにこれまでに農業学会、農政関係者、農協組織、政治家などの課題であったが、いまだに明確な青写真が描かれていない。財界からの農業提言は多いが、コスト低減の裏にある新しい農村像は示された記憶がない。農村と都市の間に隔壁があり文化も生活も対比されてきたが、情報・通信・物流の改革は隔壁を低く透明度を高くした。こうした時代の都市と農村のあり方に活発な提言が待たれる。

 著者の財部誠一氏は農協取材を拒否されたと述べておられるが、農協が論戦に加わることで問題点が明瞭になるであろうし、経済評論家として農業関係指導者と違った色のライトを当てて欲しい。また今年のコシヒカリ価格急騰を取り上げておられるが、コメ市場の機能不全の視点からの次の著作に期待したい。

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経済ジャーナリストの農業論①

農業が日本を救う   2008.12.9

『農業が日本を救う』(著者財部誠一)が面白い。農業というより食糧の質と量の心配が世間を覆っているとき農学者や農業指導者でない経済評論家の農業論を聞いてみたいと思っていただけにタイムリーであった。過去にも屋山太郎・竹村健一などの農業論は面白く読ませてくれたが影響を及ぼすには至らなかった。農業は頑固でよそ者を弾き飛ばすが、また新たな挑戦者が現れた。

「生産者の視点でもなく、ましてや霞ヶ関や族議員の視点でもなく、国民の経済的視点で農業全体をとらえ直す時期に来ている」との著者の認識で書かれており、「農協はみずからの存続のために生産者と利益相反を起こし、農業ではなく金融機関として成り立っている」指摘に共感する農業者は多いだろう。

 自民党農政はコメ政策改革大綱でコメの需給調整を減反割当てから市場による淘汰に軸足を移し個人4ha集落営農20ha以上でなければ補助金を出さない改革に踏み切ったが「小規模農家の切捨て」と民主党に狙い撃ちされた。痛みを伴う政府与党の農業改革に民主党のなりふり構わぬバラマキ効果はてきめんだったと著者は述べる。

だが柏崎刈羽の農家はこれまでの自民党農政にあいそをつかしていたのであってバラマキに飛びついたのではない。むしろ大規模農家や離農して小地主となり地代を貰いたい農民は自民党農政を支持している。だが投票が違ったのは老後を看取ってくれる息子・娘までいなくなる程に衰弱した農村の現状への怒りだろう。自民党には愛想が尽きた、民主党の農政は良くないが投票する、このあたりが本音のようだ。

本書に首をかしげたのは耕作放棄地の原因を農地の「転用期待」に求めた事である。転用期待は60年前の東京江戸川・練馬・多摩から地方都市へ小都市へと広がり、高速道や公共施設は点でしかない。耕作放棄は山間地から始まって山裾へとコスト競争力のない耕作地が大部分であろう。柏崎刈羽地域でいうなら半田・田尻地区が転用期待であるが、千枚田の面影を残している西山町・高柳町や米山・黒姫山麓が荒れている。刈羽平野は転用期待ではなく集落営農も大規模経営も競争力を失った時、一気に荒廃化の危険性がある。

「集落営農と個別営農は論理が違う」指摘は鋭い。JA柏崎でも集落営農の経理を農協職員に担当させるなど積極的だが大規模個人が農協から離れようとしている事に恐怖を感じているのであろう。集落営農は零細農家を忘れていないという農政のメッセージだろうが、自由経済の中に農協という社会主義の島を作り立ち往生させながら、その中にさらに小さな島が出来つつある。協同と互助を前面に出し補助金で誘導しても収益力がなければ続かない。

指導はするが結果責任は負わない。これが農協の伝統的な営農指導であるが、集落営農のコメをJA柏崎が販売委託ではなく買い切って独自販売をするリスクを取れば血のかよった指導が出来て経営力を高め収益に直結するだろう。

テレビでおなじみの人気評論家だけに難しい農業問題を分かりやすく解説しているのはさすがと思わせる。

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閉鎖されたままのコメ市場

コメ価格を知らずに稲作経営する不思議  2008.12.1

2009年産米の生産目標数量が2008年と同じ815万トンに決まるらしい。2004年以降続いてきた前年割れに歯止めがかかる。パンなど小麦製品の値上がりで割安感の出たコメが売れているからだ。2008年産コシヒカリの仮渡金は一俵14000円値上がりしスーパー販売価格も高くなった。

農家は値上がりに安堵し一息ついた感じだが、予定の行動を変える気はない。予定の行動とは使っている大農機具の一つでも壊れたら,耕作をやめ大規模経営者に農地を委託し小地主になって年貢を貰う事である。米価が上がろうが下がろうが新規参入企業や農業生産法人や集落営農などにタンボ(田圃)が集約してゆく流れを予知しているからだ。

息子・娘を後継者にすることもなく他産業に就職させ後顧の憂いを断ち、自らは給与と農業の二足のわらじを履き生活を支えたが、いまは退職し給与収入は年金収入に変わり、農機具は高くなりコメ価格は下がった。稲作は採算が合わなくなり体力も限界に近づいた。先祖代々続いた農業を自分の代で終わると早いうちに見切ったのは正しかったと淋しいながら思っている。

集落や市町村などの大きな単位で見れば個人農業者が引退しタンボが集約されるのは必至で雪崩れるような構造変化が起きるだろう。経営感覚がなければ倒産の憂き目にあう大規模経営者が、市場から目隠しされて利益を上げられるとは思えない。行政と農協と補助金に縛られ市場から隔離されては経営感覚がおぼつかない。

2009年の生産目標815万トンもコシヒカリ仮渡金14000円も市場の洗礼を受けた数字ではないだけに空虚な感じがつきまとう。市場には価格変動のリスクとメリットがあり、儲けて規模拡大のチャンスもあれば倒産の可能性もある。その波があって優良産地が拡大し優良農家が育ち、一方で廃業や倒産の淘汰も起こる。結果的に適地適作が進み競争力のある稲作が生まれる。

現在、コメ市場は売り手である全農JAが市場に出さず機能マヒが続いている。

全農JAはコメ市場で取引すれば価格が下がると懸念しているらしいが、今年夏に政府の手持ちのコシヒカリが売却されコメ市場で23473円の高値をつけたとき全農JAは早々と売りつくしており高値販売のチャンスをみすみす見逃している。

 コメ価格は政治米価といわれて消費者の不信をかってきたが、コメ市場を作っても市場機能が骨抜きになってどこでどのように価格が決まるのか不透明である。JAは売れるコメを作ろう、経営感覚を持てと指導する。農業者は商品であるコメがいくらになるか、安値なら作付け縮小を含めてその対策をとり、高値なら借地してでも増産対策をとり、価格変動が一時的だと思えば長期経営方針を守る。これが経営判断である。

コメ価格が消費者の動向以外の所で決められたら、経営の指針を建てようがない。これまで片手間農業、兼業農家で米価への依存は低く家計が揺らぐことはなかったし、長期方針が離農であれば苦情の言い立ての気力も湧かない。だが集落営農や農業生産法人など経営が大きくなる程、価格リスクは膨らむ。

 この問題を放置して来たJAや認定農業者や農業法人の感覚が問われるだろう。

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