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2008年11月

コシヒカリ中国輸出の調査②

タイ米を食べるブータン  2008.11.28

15年前にブータンに行ったときブータンの人は赤い米を食べていました。最近になって行ってみると、それが白いお米になっている。変えたのかと思ったら違うのです。アメリカで赤米は健康にいいとキャンペーンが広まって、赤米が全部アメリカへ出ているのです。それで、ブータンの人はタイ米を輸入して食べている』これは「バカの壁」の著者で有名な養老孟司の最新著作「本質を見抜く力 環境・食糧・エネルギー」に書かれている話である。

世界中が自由に行き来できる今では、ブータン人の伝統食であってもアメリカへ飛び、食べなれないタイ米を輸入して食べている。タイから輸送費をかけて買ってもお釣りがくるほど赤米が高く売れているのである。食べなれないタイ米で我慢しているのは、アメリカへ輸出される赤米の高価格の魅力に勝てないのである。

マグロは漁獲制限が決まり少なくなるが中国と買い付け競争で大幅に高くなるといわれている。和牛は中国が輸入制限しているが、香港など一部制限の緩和された地区の売り上げが急増している。しかも需要があるから密貿易も盛んらしい。佐賀牛のブランドを持つ佐賀県は9人の肥育農家を引き連れて13頭を香港市場へ出し瀬踏みをしている。感触に肥育農家は手ごたえを感じている。

中国には日本のサラリーマン並みの所得のある人が日本の人口ほどいる、ともいわれている。そして売られているコシヒカリの価格は中国米20倍の高値だそうな。日本からの輸出はJA全農が一手に取り仕切っているが、米穀卸や商社も手がけて競争も始まれば販売価格も下がる。すでに神戸市に本社のある米穀卸(株)神明は秋田こまちを豪州へ輸出する。

どの程度に価格が下がった時どれくらいの販売量が見込めるのか調査研究が必要だろう。ブータンのように国産米が根こそぎ買われて、日本人のほとんどが外米を食べる事にはならなくても、新潟に住みながらコシヒカリが手に入らなくなる事は想定の範囲内だろう。農協仮渡価格が14000円であるから30000円の買い手が現れたら農業経営者は高い方に売る。それ以上で買う人だけがコシヒカリを食べられる。

中国の野菜や加工食品が食卓に上がる日常であれば、日本の米が中国の食卓に上がって不思議はない。中国と日本の距離は短いのだ。日本米の価値を評価する人が何百万いるのか。減反を止め増産しても中国需要をまかない切れない時代がそこに来ているのかもしれない。

『井戸を掘った人のことは忘れない』は彼の国の慣わしであれば、柏崎刈羽の偉人・田中角栄さん流れを汲む人は地元にも多い。遺徳をつてに柏崎刈羽の米を中国に売り込む人が待たれる。

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コシヒカリ中国輸出の調査

コメ輸出と刈羽節成と綾子舞  2008.11.24

刈羽節成とは何のこと?刈羽柏崎で40年ほど前に栽培されていたキュウリで節ごとに実が着くので節成である。現在のキュウリの原点の一つで伝統的な柏崎野菜を見直して行く運動の中で「刈羽節成きゅうりの会」が結成された。伝統野菜の栽培を通じて、地域の活性化を目指す(柏崎日報2008.7.26)。柏崎観光キャラバンが東京でも宣伝していたから柏崎市も本気らしい。

柏崎市の山間地、黒姫山の麓で鵜川の源流に民俗芸能「綾子舞」がある。重要無形民俗文化財の指定を受け知られた存在である。戦国時代に上杉一族の奥方に端を発したとも伝えられ秘かに土地の人々が愛でるようにして伝承してきた。いまは柏崎の観光資源で柏崎市も手厚く保護している。

刈羽節成と綾子舞は懐古の情では共通する。しかし刈羽節成キュウリは品種改良の踏み台になって使命を全うしている。一方綾子舞は伝統を受け継ぎ守り次世代に伝える使命を持っている。

「刈羽節成キュウリ」は趣味の会で楽しむ範囲のことで柏崎市が援護するものでもないだろう。大体農産物の栽培や販売に行政がからんで上手くいくのは少ない。

越路早生・こしいぶきを柏崎特産にしたいようだが、新潟県で一番収穫が早いだけの商品で収量が多いわけでもなく味が良いわけでもなく特徴がない。早く東京へ出荷できても高値で売れて生産者が儲かるわけでもない。新聞・テレビが新潟で稲刈り始まると風物詩のように取り上げるだけで消費者が踊るほど販売は甘くない。

県や市町村の農業の権限は減反割り当てや各種補助金など非常に大きい。それだけに権限の行使は絞り込みが必要で、生産や販売など損得にかかわることはやらない方がよい。たとえば新潟産米の販売支援などは費用と効果を勘案すると首を傾げたくなる。

いま自治体がやって効果的な仕事に中国米輸出事情調査がある。昨年秋に新潟コシヒカリと宮城ひとめぼれが香港・上海・北京で販売され、今年末には庄内はえぬきがハルピンで販売される。価格は1キロ1100円~1400円が予想されるが玄米に換算すると159400円~75600円(精米歩留90%で54キロ)である。この高いコメが中国で売れる事実はもっと注目されてよい。

1キロ11001400円の精米販売価格は商業ペースか、特殊ケースかが知りたいところである。スーパーで販売し富裕層が買っていると新聞は書いている。

中国は巨大市場である。食品の安全に中国でも関心が高まっている。コシヒカリ・ひとめぼれ・はえぬきが売れる事と関係があるのか、ないのか。中国へ国産米が商業ペースで輸出されると日本の稲作は根本から変わる。柏崎刈羽の農業は稲作がほとんどで減反も多いだけに劇的に変わる。

若林の農水相は328日記者会見で国産米は数量限定で中国輸出しているが、検疫条件が決まれば恒常的輸出が可能な「全面解禁」になる、と述べている。

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ビッグチャンスかピンチか

驚異から脅威へ発展する技術 2008.11.15

浅田次郎の短編小説集「お腹召しませ」に次いで「五郎治殿御始末」を読んだ。幕末から明治初期の激動期に足掻く下級武士の話である。

江戸時代の鎖国で熟成された文化が近代日本のエネルギー源であり、明治維新は画期的な夜明けと明るく捉えられているが、社会も価値も混乱し安堵の息のつけない庶民混乱の時代でもあった。「五郎治殿御始末」は桑名藩の中堅武士の身の処し方で、柏崎の戊辰戦争にも触れて面白かった。

 文明・科学の進歩は徐々にたゆみなく続くが、変化したな変わったなと日常生活で感じ社会に現れるのは、徐々にではなく爆発的であると歴史は語っている。下剋上から戦国時代は最新技術の「鉄砲」が統一し、明治維新は「黒船」が時代の幕を切り落としたのはその典型だろう。

 「お腹召しませ」の序を引用すると「戦後からつい先頃まで長く続いた高度成長は、革命という言葉に合致する発明などはほとんどない、漸進的な社会発展であり、われわれは享受されるものを健全に使用してさえいれば幸福だったのである。驚異の発明はたくさんあったが、脅威を感ずる発明はなかった」

 今も振り返れば革命のような激変はなかったが、社会は大きく変わった。テレビも自動車も日常生活に溶け込んだ。一方で技術の進歩が社会と溶け込めないでいるのが農業と農村だろう。

 開発された技術は改良発展する事はあっても後退する事はない。持てる力を発揮できなかった技術はインフラに亀裂を入れながら爆発のエネルギーを蓄えて行く。経済界が農業に関心を持ち発言し新規参入で瀬踏みをしている。エネルギーが吹き上げる時期が近いと見ているのだろう。

 構造的な改革を先送りした農業と農村は70歳代が主要農業者だ。歳月に先送りはなく誰もが確実に加齢して行く。農業地帯A市の幹部職員いわく「このまま若者が流出すれば10年後に工場はあっても従業員がいなくなる。工場誘致どころか工場流出が起きる」。稲作も田んぼはあるが農業者がいなくなる事態が目の前にある。これは食糧生産産業のビッグチャンスかピンチか、農業界と経済界のセンサーは正反対を向いている。

 最後にまた浅田次郎の引用「近年われわれがすこぶる急進的に使用するようになったコンピューターと携帯電話機は、驚異より脅威である。これらの普及によって、社会の本質も人間の本質もくつがえったような気がする」。作家の創造力はすごい、ここから「大手三之門御与力様失踪事件之顛末」という神隠しの話を紡ぎだすのである。 

 スーパー店頭で北海道米が青森米より高くなり、佐渡コシヒカリが新潟一般コシヒカリより安くなった。逆転は起こる。農業技術も除草剤は驚異であったが脅威の技術は近い。受け入れのビジネス・スタイルの確立は事業家の役割でインフラ整備は政治家の役割である。

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刈羽村の可能性 ③

農業と集落はどうなるか  2008.11.11

50年前、刈羽砂丘はタバコ栽培を中心に畑作が盛んであった。いまは手のつけられない荒地になった。だが水田は3反区画と潅漑排水が整備され最新農業技術を生かせる状況である。農業生産法人は勝山農産を皮切りにいくつかでき集落営農組織も芽生えたが、全体を見渡せば大規模営農は少なく、高齢自営農家が主体である。農業者は引退の近づいている人が多く、このままでは稲作の請負者が不足する時期がやがて来る。

稲作が儲かった頃は請負耕作の希望者も多く小作料も高かったが、小作料が年々下がったのは稲作が儲からず規模拡大の意欲が低くなった証である。一方で20町歩経営は珍しくなくなり100町歩を経営する農業者も現れた。刈羽村も引退離農の予定者が多く大規模経営の方向に進むのは間違いない。

ここで問題が二つある。一つは大規模経営が儲かるか、ということである。昨年から始まった新農政「品目横断的経営安定対策」は市場で売れるコメは増産し売れないコメは自家用だけ栽培するようになる仕組みである。柏崎農協が売れるコメを作ろう、と指導するのはそのためである。すなわち売れる自信があれば減反しなくてもいい制度になったのである。(にもかかわらず減反を押し付けてくるのは農協の事情であるが改めて説明する)

刈羽村は減反を止めてよその産地との販売競争を勝ち抜いて、儲かる稲作を実現できる基盤整備が出来ているのである。販売の仕方も新潟コシヒカリではなく刈羽コシヒカリで独自方法になる。これで儲かる大規模経営が生まれる。農業生産法人や集落営農組織が次々生まれて耕作引き受け手が不足する心配はなくなり、小作料も高くなるだろう。

もう一つは集落がどうなるかという問題である。農業生産法人や集落営農組織が平均50町歩を耕作すると刈羽村の耕地は450町歩だから計算では9法人で経営できる。

低コスト稲作とは人手を省いて効率を上げることである。刈羽村のほとんどの農家は法人にちょっと手伝いに行くだけで、働き場がなくなる。新しい仕事を造らないと村民は職場を求めて刈羽村を離れ、空き家・空き屋敷があちこちに出来る。農業を合理化することは集落を作り変える大仕事をなのである。

携帯電話とインターネットが個人の生活スタイルを変えたように新しい技術は社会を変える。農業技術は進歩したが最大限に生かせば集落が激変する。この問題を先送りしてきたのが刈羽村であり全国の農村である。

新しい刈羽村とは、農業者が減り新しい仕事をする人が増えて4738人(推定10月)の刈羽村人口を5500人以上にする事である。村の再構築が平成20年代の課題である。豊かで住みやすい日本一の農村になれる。

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刈羽村の可能性②

原子力発電所の安全と安心   2008.11.8

柏崎駅までタクシーに乗って年配の運転手さんの話を聞いた。「金曜日の夜でも飲み客が少ないし大体今の若者は会社の宴会を喜ばない。しかも若者が少なくなった。親は息子・娘に教育を惜しまず金をつぎ込み都会へ送り出し、磨かれて立派になった子供達は柏崎刈羽へ帰って来ない。遊び盛りの若者が減り外で飲むより家でテレビの熟年が多ければ夜の町は活気がない」

原子力発電所が地震で運転停止して15ヶ月、高い重油を炊いて発電して電気料金はまもなく大幅値上げになる。原発の効果は社会や生活の隅々に浸透している。これ程の大きな役割を果たしている原発の柏崎刈羽の人口が減りしかも将来を担う若者が減って高齢化率がだんだん進む。

一年ごとに年を取るから老人が増えているのは長寿のあかしで目出度いが、保育所が統合されて一ヶ所になったことが示すように幼児が激減している。子供を生む年代層が20年間で半減しているし、毎年20歳前後の人口が激減しているのは就職進学で刈羽村を離れているのだろう。子供を生めない世代の比率が増え、育てた子供も成人になって出て行く。

原発は東京に利益をもたらしているが、人口の推移から見れば刈羽村の発展を疑問視している村民が多いという事が読み取れる。電源三法資金や関連の支援はあっても就職など生活にさきざきの不安を持っているからであろう。

原発が発電を始めてから20余年、取り立てて大きな事故もなかったが、中越沖地震では今もって運転停止している程だから村民は肝を冷やした。国も東電も安全安心を繰り返し宣伝してきたが、自然の威力は人間の技術を乗り越えることが珍しくないと実証したのだ。

原発は必要だが安全と安心に最大限の努力と資金と技術をつぎ込んでも「絶対の安全」はあり得ない、というのが国民の共通認識だろう。だからゴミ捨て場と原発は遠い所にあったほうが良い、と誰もが本心では思っている。

柏崎刈羽の中から中越沖地震で東京都知事からお見舞いがないのはおかしいという意見があったのは、都民の本心を見通し重い荷物を背負わされている意識のあらわれである。

 刈羽村にとって原発の「安全と安心」とは何が目安となるか。刈羽村と柏崎市および隣接市町村以外の地域、すなわち東京・大阪・名古屋・横浜などの経済人が刈羽村柏崎市に工場を作り、レジャー施設を作るような投資をすることである。経済人は危険のある場所には3050年を見越した投資はしないからもし実際に投資をしたら刈羽村柏崎市の安全を信頼したことになる。

 柏崎からNECと小松エストが撤退したが原発に関係があるかどうかは分からない。だが柏崎の有力企業が次の設備投資の時期はいずれ来る。その時どのような判断をするか注目される。原発関連企業の社員が村民として定住するかどうかも気になる所だ。地震対策以上に投資と定住対策に知恵を絞らなければならない。原発と共存するのだから恐いところも良いところも知り、活用をしなければならない。国の安全宣言の効果より投資をしたくなる環境、すなわち経済特区などの手段が刈羽村が活性化する切り札になるのではないか。子供が減り若者が減り高齢化が進みながら人口が減って行く刈羽村は原発の活用の仕方を間違っていたのではないか。

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刈羽村の可能性 ①

 刈羽村の水田価格は上がるか下がるか  2008.11.7

隣のお爺さんSさんは75歳で農業一筋の人生である。息子さんは中堅サラリーマンでお嫁さんも働き者、内孫・外孫にも恵まれ気楽な隠居生活である。記憶がしっかりしているから集落や刈羽村の農業の生き字引で貴重な存在でもある。

昔の田んぼの売り買いの話を聞いた。Sさんいわく、家の新築や娘の嫁入り支度でまとまったお金が必要になると田んぼを売って資金を作るのが珍しくなかった。お茶飲み話で聞こえてくるから自分(Sさん)も農協から借金して新築計画のある家庭に田んぼを売ってくれるよう頼んで売ってもらった経験がある。田んぼを一反か二反売れば家を新築するのに役立つ金を手に出来た。それほど田んぼは値打ちがあった。生涯に田んぼ一反増やせば甲斐性者と回りは評価したもんだ。今は田んぼ一反売っても二ヶ月分の生活費で消える、安くなったもんだの・・・と語った。

刈羽村の田んぼは一反2070万円が相場だ。あまり売り買いが無いのは売っても役に立つ程の金額ではないし、買って稲を作ってもコメが安いから儲からない。ではこれから先、田んぼの値段は上がるのか下がるのか。

上がるとすればコメ価格が高くなり大規模経営農業者が儲かり生産意欲が高まった時である。中国でコシヒカリが高値で売れたが、安全で美味しい国産米が人気を呼べば人口大国だから100万トン単位で消費されるだろう。今年は豊作のコメ余りで米価が下がりそうだから10万トン政府が買い上げて備蓄するが、わずか10万トンの処理で価格を維持できるのがコメだ。逆に足りなくなったらどうなるか。今年夏コシヒカリの不足したコメ問屋は一俵23000円でも買った。

田んぼの値段が下がる場面はいろいろある。子供が遠くに就職し介護してもらえない老夫婦や独居老人世帯が増えている。都会では家屋敷マンションを売り老後の生活費にするのは当たり前になっている。刈羽村でも田んぼを売って生活を楽しむ人が居てもおかしくない。また住宅ローンを軽くするために田んぼを少し売りたい人もいるだろう。

田んぼは上がる可能性が高いのか、下がる可能性が強いのか。定年退職者が稲作請負までして稼いだ時代は近年の低米価で終わった。70歳代の農民は引退して稲作を誰かに任せたいと思っている。近い将来に売りたい人は多く買いたい人は少ない。売りたい面積は多く買いたい面積は少ない。価格は際限なく下がるだろう。小国町・高柳町・西山町で買い手のつかない田んぼがゴロゴロしている現況がある。

10年、20年後はどうか。コメ価格は大きく上がるだろう。それまでの間をどうやってしのぐか。刈羽村で田んぼの査定をして買い取り価格を決め希望者から無制限に買い取る制度を作ったらいいだろう。たとえば一反50万円なら一町歩500万円、十町歩5000円万、百町歩5億円、五百町歩25億円の基金で出来る。

刈羽村で使い道が6年も決められない原発共生事業資金がある。これを基金にして田んぼを売りたいときに何時でも売れる価格保障制度があれば安心していられる。やがて来る食糧不足の時に売れば大地主の刈羽村は行政サービスの原資が出来る。東京から移住してすみたくなる先進地の刈羽村になれば人口も増え産業も興せる。

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柏崎市長選挙⑧

桜井雅浩さんの行政改革に期待 2008.11.6

1031日柏崎産業会館で柏崎市長候補予定者、会田洋市長と挑戦者桜井雅浩氏の公開討論会を傍聴した。2時間という限られた時間の中で討論題目が多すぎて、両氏の違いが際立つ事無く聴衆は理解しにくかったのではないか。

産業振興や医療福祉は決め手のないテーマで、無理に特徴を出そうとすれば空理空論になる。また柏崎をどう思うかと語っても文化論になって多数の聴衆に向かっての政治討論にはなりにくい。柏崎の人口減と進む高齢化率に歯止めをかけられれば解決する問題である。人口構造から自然減は止まらない、なら社会増をいかに計るか。原発との関連はどうか、聞きたいところである。

 政策討論としては地震復興・行財政改革・原発が市民の関心も高く両氏の違いも分かりやすい。地震復興に国の補助が十分か不十分か現職市長と挑戦者の立場の違いから当然見解の分かれるところだが、直接聞けて参考になった。桜井氏がこれまで長期間にわたる原子力発電の功績が織り込まれた支援ではないとの指摘は、共感出来る事で挑戦者の気楽な公約と軽くいなされるものではないだろう。ただ桜井氏も行動力や政治手腕で解決すると訴えるのではなく、具体的な手法が聞きたかった。原発推進派として人口減若者不足の原因をどう捉え、対策を取るのか。

 また地震復興支援という問題から切り離して、原発の貢献度は原発と共存するリスクと釣り合いが取れているのか。電源三法がらみや趣旨を同じくする各種補助金や原発立地擁護策がありながら人口が減る現実がある。これをどう考えるのか、討論を掘り下げれば行き着くとこだけに時間が足りないのは惜しいことだった。

 この問題は原発推進派を自認する桜井氏と反原発グループを有力な支援者とする会田市長のカラーを鮮明に浮かび上がらせると思う。両氏とも東電原発を地域発展の中核に位置付けて共通の基盤に立っている。推進派の桜井氏がこれまでの貢献が評価されていない震災復興と述べるに止まらず効果的で分かりやすい支援獲得を示して欲しいし、会田氏は原発リスクの御旗を掲げ続けているグループがどのように評価しているのか市民は知りたいだろう。

 桜井氏が国と東電を二つの事業者と表現したのは的確で分かりやすい。会田市長も表現は違っても認識は同じである。原発があり日本経済に貢献している事実の前に共通基盤に立つのは当然である。桜井氏は伝統的な推進派を引き継ぎ、会田市長はこれも歴史と伝統のある反原発グループをまとめている。両氏の支持母体の発言が極めて乏しい事が選挙戦を分かりにくくしているようだ。

 行財政問題は一般には馴染みにくい性質ではあるが、桜井氏の市職員30%カットを柱とする公約はナンギするだろうが、避けて先送りすれば誰もが柏崎を避けて人口が減る。消費税を言えない自民党、減反を黙って追従する農協が支持を減らしているのと同じ理屈だ。あえて掲げる桜井氏に期待したい。

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農業引退の準備

60歳代専業農業者の話   2008.11.3

欅の葉もなかば落ちた晩秋の越後平野に友人を訪ねた。10年ほどのお付き合いで農業の今と過去と未来を語り合える貴重な友人である。彼は青年の頃からの専業農業者で蒲原平野のど真ん中で頑張り続けた。昭和23年生まれであるから戦後の農業史そのものである。いま還暦も過ぎ老いの坂に踏み込む身の処し方を語った。

彼は数年前から農業からの撤退を準備し始めたという。まず大農機具を買う事を止めた。使っている大農機具が壊れたらもう買わないのだという。現在は乾燥機が壊れたので隣の農家に作業を依頼している。乾燥代が80万円ほど出費になるがいわく「お隣さんが喜んで年末にはビールをお礼に持ってくる」。

いずれは農業から引退するのだから新規設備に投資するより気が楽だそうな。このまま頑張ったら体力が尽きて引退となる。昔はやむを得なかったにしても今も周囲のほとんど体が効かなくなるまで働いている。何のためにこの世に生まれてきたのか考える歳月もないまま死んで行く。そうはなりたくないと達観している。

また彼は農地法が悪いとも言う。マスコミも農政も百姓の土地の執着が強くて大規模経営など農業近代化の妨げになっていると何十年も言い続けているが、今の百姓は先祖代々の土地にしがみつきたいと思っていない。

自分は親を看取ってあの世に送ったが息子たちは親を看取るどころか介護も出来ない状況が珍しくない。

農業も大きく変わって親と同じ事をしては生計が立たないからよそに職場を求めて行った。年老いた自分は田んぼを売って老後の生活に当てる。だが田んぼの値段が安い。生活の元手にしようと売る田んぼの買い手は貧乏人の百姓だ。これでは高く売れるはずがない。一流の大企業に農業を認めたらいい。もっと高く買ってくれるだろう。百姓仲間の土地売買しか認めない農地法が悪い。彼の言葉に熱がこもる。

汗を流して働けば貧しくとも生計が立ったのが農業であり農村であった。田んぼを耕す耕運機から始まった技術進歩で家業としての農業が商品経済に巻き込まれた。決定的な技術は田植え機と除草剤の登場だろう。田植え機は一時期に集中的に人手を集める必要をなくし、経営面積拡大のくびきをはずした。除草剤は日本農業の宿命とも云うべき雑草との戦いをなくした。早乙女でにぎわう田植え風景も消え、田んぼに這いつくばって草取りする人も消えた。田植えの終わった見渡す限りの水田地帯に人影もない今の風景である。

息子や娘に介護も看取りも頼れない世の中になって、土地への執着をなくした老農民が先を思って立ちすくんでいるのに、自作農主義を貫く農地法は時代に合っていないのではないか。これも農政の歪みか。

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