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2008年9月

刈羽村の農業①

来年こそ減反をやめて稲を作ろう  

2008.9.26

コシヒカリの刈り入れも終わり刈羽村は穏やかな中秋を迎えた。コシヒカリの仮渡金も14000円で昨年より4000円高い。だが一昨年が15000円で昨年は一気に5000円も下げられたから、戻っただけの米価に満足している農家はない。

平成18年産15000円、19年産10000円、20年産14000円、これ程価格の変動が激しければ生活のメドも立てにくい。平成5年には26000円であったコシヒカリが米価暴落を防ぐために減反を守れと政府と農協が指導し続けてこの有様だ。

コメで所得を得て家族を養っているのはトラクターに乗りコンバインを操作する汗を流す農民だけではない。農業を指導する役人も農家に出入りする農協職員もそうだ。農民にはネクタイを締めた農民と作業服を着た農民と二種類があると区分けして考えたらいい。

ネクタイを締めた農民は紙と鉛筆で知恵を絞り月給とボーナスをもらい年収は毎年増える。トラクターに乗り農薬にまみれコンバインを操作し作業服を着て汗を流す農民は米価の値下げをまともに受け所得は年々減った。

安い米価の影響は当然出る。農家の息子が儲からないからと農業をしなくなった。まわりを見渡して見れば70歳前後の人だけで頑張っている。認定農業者も農業法人も規模拡大して農地を増やす気力は衰えている。また沢山の補助金をつけて集落営農組織を作っているが、専従者を雇って700万の年俸を払えるところはまだない。先の読めない米価では作業服を着た農民の収入は安定しない。

農業団体職員など農民に指図するネクタイ締めた農民に共通するのは「減反を守って米価を維持しよう」と叫ぶだけで月給が年々上がり続けた。減反し汗を流して作業着で働いた農民の収入は減り続けた。仕事の成果が報酬になるのが普通の社会だが、成果が悪くとも報酬が増える仕組みでは本当の知恵が生まれない。減反しても下がり続けた米価は象徴である。何のための誰のための減反であったのか、立ち止まって考えるべきだろう。

19年産コメから制度が変わった。「品目横断的所得安定対策」が始まり認定農業者と農業生産法人と集落営農組織に補助金が手厚くなり、4ヘクタール以下の農家は減反奨励金がなくなった。その代わりに減反に協力する義務もなくなった。すなわち作りたいだけ作っていいのだ。加工米などべらぼうに安い米など作らなくていいのだ。

減反が強制でなく自由参加になったことを何故知らせないのか役場と農協の考えを聞いてみたい。

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非食用米の転売一断面

農業政策のほころび    2008.9.18

工業用のコメが食用になって連日のニュースである。農林大臣の辞任、事務次官の更迭にまで追い込まれた農林省のキズはこの事件が突発的でないだけに農政の根幹に触れるモノかも知れない。

戦争でいろいろの物資が統制されたが食糧も統制され、戦後混乱が治まるにつれ統制は解除され生産も流通も市場経済の枠組みで行われるようになった。統制経済とヤミ経済はスーツの裏表の関係にありまさしく表裏一体である。ヤミ経済の象徴はヤミ米であろう。忘れられた話のたぐいであるが、法律に背くヤミ米を拒否して餓死した判事さんの事は長く語り伝えられていたから、ヤミ米の世話にならない生産者も消費者もいなかったのだろう。

ヤミ米を取り締まる法律が食糧管理法、俗に食管法と呼ばれ監督官庁が食糧庁であった。2003年廃止されたが、その権威たるや大変なもので食糧庁長官は農水省事務次官が約束されたポストであったことでもわかる。

足りないコメを金持ちだけがたらふく食べれば、一方で空腹で苦しむ人が出る。貧富を問わず足りないコメを平等に分けよう、すべての国民がいくらかの空腹を我慢して餓死者を出さない食糧規制が食管法の趣旨であった。しかし、1965年頃から生産が消費を上回るいわゆる過剰米が発生し余り米の処理に苦慮するようになった。減反政策として今も苦悩を引きずり、この悩みが農政の選択肢をきわめて狭くしている。

足りないコメを平等に分ける(配給制度)官庁が、余ったコメを管理する仕事に変わって40年も存続したことが異状であった。生産と需要が均衡した時点で食糧庁から解放すべきであったのだろう。商品が自由に生産され消費される自由経済社会にあってコメの生産と流通に統制をしたことは、自由経済社会に農協とコメだけが「社会主義経済の島」を浮かせたようになった。世間は公職選挙法と売春防止法と食管法を三大ザル法と嗤っていた。結果は農村と農業が経済発展から取り残され、積年の歪みがいま至る所に現れている。

低い食糧自給率、高齢者が食糧生産の主体で後継者が居ない事、耕作しない荒れた農地の増加、中途半端な公営コメ市場、20年産の刈り入れが進んでいるのに19年産コメ代金が精算されないで当然とする農協、高齢化が進み急速な人口減に見舞われる農村。

消費者にとって重要なコメを産業活動として認めなかった農政の歪みが生産者を苦しめ消費者に襲いかかっている。非食用米転用の一断面である。

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柏崎市長選挙 ⑦

原発を争点に柏崎市長選挙を    2008.9.17

市長選挙投票日まで2ヶ月を切った。桜井陣営が選挙公約を8月に発表し先日会田陣営も発表した。原発の賛成・反対をめぐる柏崎の歴史的論争は両陣営の盛り沢山の公約に埋もれて焦点にならない。原発が稼動し多大な貢献をしている実態がありながら、何故か反原発運動がそれなりの勢力を持ち、現会田市長の誕生の原動力になった。だが現実に目をつぶった不毛の論争であったことは、政権与党の一角に食い込んで現職市長の再選を担う立場になって海から上がったサザエのように口を閉ざしているのが証明している。

これで原発との共存を大前提とした柏崎刈羽の発展の方法論争のかみ合う条件が整った。すなわち中越沖地震で発電出来なくなった原発再稼動をめぐり国と東京電力に柏崎刈羽が何を要求すべきか、会田方式と桜井方式を有権者に問いかけてこその市長選挙である。

原発は国のエネルギー政策の根幹を成すものであれば、凍結や廃炉の選択肢はない。安全に最大限の努力を払っての再稼動になるが、原発が開発途上の技術であれば「絶対の安全」はありえない。地震はそれをまのあたりに見せた。絶対の安全は保障できないリスクをこれまで住民は背負って来たし、これからも背負って行かねばならない。東電や原発技術関係者の「最高の叡智」と「絶対の安全」の間に横たわる大きく深い溝を埋める、それが柏崎刈羽の人口を増やし経済が発展する基礎である。

だが、会田公約も桜井公約も国の安全確保をもって再稼動としている。それでいいのかと問いたい。これまで国も東京電力も安全の確保には十分な努力をしていた。だが大自然の威力の前には当時の最高の叡智もこのような状況になる。技術を超える自然災害が皆無になる事はない。また国家の経営を考える時、一罰百戒 一殺多生は当然で国権発動の極地が戦争である。東京から見ればはるかな僻地で原子力発電をするのは国家の立場で考えれば当然である。

東京の僻地であっても住民感情は柏崎刈羽が原発のリスクを負わされて人口が減り経済が衰えるのでは面白くない。「技術の最高の叡智」と「絶対の安全」の間にある大きな溝を埋める政策こそありがたい。その手法を掲げた市長選挙を有権者は期待しているのではないか。

例えば直江津に新幹線が通るが、長岡ー柏崎ー直江津をフル新幹線で結べば柏崎刈羽への経済効果は大きい。採算新幹線ではなく政治新幹線だが原子力発電30年の貢献を思えば奇想天外でもあるまい。駄法螺ついでにもうひとつ、上海・香港・ソウルにあって日本にないもの、それは楽しいカジノだ。経済特区で刈羽砂丘にカジノが出来れば千客万来である。地震見舞金で観光振興宣伝などせこいことより大きな夢をみたいもの・・・。

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