柏崎刈羽の農業法人訪問記 ③
100ヘクタール稲作の農村と在宅勤務 2008.8.31
NTT東が全社員対象に在宅勤務制度を導入する。すでに5月から1万人を対象に週2日を上限に試験運用を始めている。国内の大手企業では日本IBM・松下・NECなども実施し産業界全体に広がろうとしている(日本経済新聞)。電話料金問合わせは0120で始まる無料通話だが県内と話しているつもりなのに電話口嬢が沖縄であったりしてビックリした経験は誰にもある。
携帯電話がありインターネットが普及し通信コストが安い通信革命時代である。ついに通勤地獄からも解放され家庭で幼児を見守りながら、会社業務をこなす就業形態の幕開けだ。これは社会の最先端の動きである。社会の最後尾の様子は農村社会にある。革新の進む農業技術を受け入れる構造改革に遅れをとり、自給率は下がり農業の担い手はなく70歳代農民がコメ生産の主力である。若者のいない高齢化農村は限界集落の話ではなく平場の水田地帯の日常である。新技術が引き起こす既得権益の破壊と構造改革の傷みを先送りしたしわ寄せが破裂する。まさに農業版中越沖地震だ。
農地解放で始まった戦後農業は1戸1ヘクタール前後を耕作する人畜力農業であった。耕運機が登場し除草剤が開発されコンバイン(収穫機)モミ乾燥機が普及し、極めつけは田植え機の登場であった。戦後から60年、柏崎の農業法人A社は85ヘクタールの耕作面積で社長の父親と息子二人と社員二人の5人である。
農村集落は中山間では山裾に住宅がへばりつくようにして並び真ん中の平地の耕地を囲んでいる。平場では中心に住宅が集合し周りを耕地が取り囲む。一集落平均100戸で80ヘクタールの耕地に囲まれ、農家戸数80戸で教員・僧侶・雑貨や・公務員等非農家20戸が標準構成である。したがって耕地面積の多少はあっても平均1戸1ヘクタールで農村集落の生活は成り立っていた。
農業新技術の登場は1戸当りの経営面積の拡大を促したが、集落の耕作面積は限定されて階層分化をもたらした。その頃日本経済は高度成長期であり農村の余剰労働力は2・3次産業に吸収され兼業農家が増えた。土木工事など農閑期にも働き場があった。
だが昭和44年減反政策が始まり、コメは生産効率を高めながら一方で消費の減少見舞われた。農業に展望を見出せなくなった中堅農家は長男も含めて息子娘に大学など学歴をつけて県外就職へと送り出し、自らは兼業で生活を支えた。そして今70歳代の農業者として離農を目前に思案している。
A社を見て分かるように戦後から60年で農業効率は100倍になった。集落営農組織か農業生産法人かに70歳代離農予備軍の耕地が急速に移動するのは間違いない。自給以外の農作物を作らない非農家が99戸、専業農家1戸の「新しい村」を構想するとき、通信革命を背景にした「在宅勤務」はヒントになる。定年後農業の発想を捨て、農村に住んで都会と繋がったビジネスを行う。都市から農村へ人材が逆流し美男美女と甘露な酒と知的レベルの高い農村、もちろん自前の野菜果実も楽しめる、パラダイスではありませんか。
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